縫製職人を活かす新しい仕組み「nutte」

かつて日本全国にあった縫製工場。今は海外に仕事を奪われ、倒産した工場も多い。職人たちは仕事を失い別の仕事に就くか、個人で縫製の仕事を請け負うなどして生活を続けてきた。しかし個人でアパレルメーカーのサンプルの作成などで得られる収入だけでは生活すら厳しい状況だという。 現在そんな職人が、全国で20万人いるといわれている。

その現状に目をつけたのが昨年創業した「nutte(ヌッテ)」だ。縫製職人と商品を作って欲しいというメーカーをつなぐサービスを提供している。
https://nutte.jp/

仕組みは、まず作ってもらいたい側が予算や納期、デザインを提示する。職人は、予算や納期、仕事内容を見て仕事を受けるか決めるというもの。 職人が個人のため小ロットで出来るのが強みで、規模の小さいアパレルメーカーや子供の学芸会用の衣装など一般人でも利用できるのが特徴だ。

ガイヤの夜明けで9月13日に放送された「消すな職人技!生き残りの秘策」でも紹介されていた。それによると、登録している職人は現在約1000人。年齢層も幅広く、経験も豊富なことからイメージだけ伝えれば商品を作ってくれるという。このサービスは、苦境に喘ぐ繊維業界の救世主となれるかも知れない。期待したい。
http://lovely-lovely.net/business/nutte
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婿社長が体現する“伝統は革新の連続”

伝統的な産業ほど革新を続けて今に至っている。この逆説的だが真を突いた説を改めて思い起こさせる事例に時折出会うことがある。

9月10日に放映されたNHKの経済フロントラインの『未来人のコトバ』は、相模屋食料の社長、鳥越淳司さんをフィーチャーしていた。彼は前社長の娘婿として入社以来社業の改革を続け、2002年の入社当時は28億円だった売り上げを、2015年には7倍を超える200億円超にまで伸ばした凄腕だ。鳥越さんが大事にしているコトバが“伝統は革新の連続”だ。

彼が相模屋食料に入社した14年前には、業界には昔ながらのやり方を変えようという意識は、ほとんどなかったという。そんな中、「変わりようが無いと思っているならば、やればものすごいチャンスなんじゃないかなと思いました」という感想を持ったというのが素晴らしい。

入社してから2年間、毎日午前1時に工場に行き、職人たちと一緒に豆腐を作ったという。「(大事なのは)現場に行くということ、一緒にやるということです。(それで)“あいつの言うことだったら聞いてやろう”という(気になってくれる)」という人の気持ちを理解していたのだ。

鳥越さんは以前、雪印乳業で営業マンをしていたときに乳製品の集団食中毒事件が起きた。被害者の家を訪ね謝罪して周った際に「“何でこうなったんだ”と必ず聞かれるんです。そこで私はまったく答えられないですから、(製造現場を)知らなかったことは、ものすごく罪なことだと思いました。
豆腐の業界に入ったときには、いちばん最初に豆腐作りをやって、身に付けようと思ったんです」という鳥越さん。

こうした現場重視の姿勢を持ってまず取り組んだのは、豆腐の作り方を全面的に見直すことだった。11年前につくった第3工場は建設費41億円。年間の売上げを大きく上回る投資。3台のロボットだけで豆腐を全自動でパック詰めしている。従来方式では、蒸した豆腐を水中で冷やしてからパックするのが常識。しかし、豆腐は熱いままのほうが風味を保つことができ、日持ちもする。熱々のままパックする方法を模索し、発想を転換して「パックを上からかぶせる」方式にしたのだ。

おいしさが保たれ、賞味期限も従来の3倍、およそ15日に伸ばすことができた。これにより販路は拡大。売上げを一気に伸ばすことができた。客層を広げるため、彼が次に取り組んだのは若い女性や男性も手に取るような商品の開発。

社長が先頭に立って開発したのが、「ザク豆腐」。「機動戦士ガンダム」に登場するモビルスーツ戦士だそうだ。知らなかったが、面白い。鳥越社長の明るいキャラクターが効果を発揮したのだろう。

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アフガンの砂漠に用水路を建設した日本人医師

先に挙げた『将校は、砂漠に木を植えた~インドに渡った隼戦闘隊員~』と少し似た話だが、現代の尊敬すべき日本人が紹介された番組を続けて観た。

NHK Eテレで9月10日(土)に放送されたETV特集『武器ではなく 命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~』だ。アフガニスタンで干ばつと闘う日本人医師・中村哲(69)氏の話だ。
http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2016-09-10/31/13076/2259544/

中村氏は100年に1度といわれた大干ばつに苦しむアフガンの人々の窮状を見て、「水路1本が医者何百人分の働きをする」と白衣を脱いで、現地の人々とともに用水路建設に乗り出す。

驚くことに自分で設計図を作り、自分で重機を動かし、自分で住民たちを説得して働き手を組織する。総工費十数億円は寄付でまかなった。驚嘆すべき、そして尊敬できる日本人だ。

用水路完成までの15年に至る貴重な記録番組だ。その間、アフガンは米同時多発テロ事件が起き、その報復でアメリカから攻撃され、タリバン政権が滅ぼされた。同時に、無辜の民までが空爆などで巻き添えになり、大量に殺された。この戦争でおびただしいアフガン難民が生まれた。

中村氏たちも水路建設中に米軍機に機銃掃射されたという。中村氏は、こんな干ばつで苦しむ人々に空爆をかけるとは、現地に身を置く人間として信じられなかったと当時証言している。全くその通りだ。

その後長く続く「対テロ戦争」で、アメリカ軍機が上空を飛ぶ下、中村氏らはひたすら水路を建設し続けた。中村氏らの奮闘ぶりに触発され、そして自分たちの未来を築くため、近隣農民や難民たち、元兵士たちが協力して大地を掘り進む。水を取り込む川の半ばまで堰を築こうとしても土砂が何度も流されてしまうが、やがて中村氏の故郷の知恵が解決策を生む。その悪戦苦闘の過程は実にドラマチックだ。

干ばつと戦火で荒廃していた褐色の土地が、用水路によってやがて豊かな緑地に変わっていく。人々が戻ってきて地域共同体がよみがえっていく。これこそが日本人の欲する平和活動であり、いのちを救う活動なんだと感じた。

15回めの9.11を迎え、報復に狂った米国がまき散らした憎悪がイスラム世界の一部で増幅して世界をさらに苦しめる中、真の問題解決を見た思いがした。

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営業改革を考える (12) 営業日報は本当に必要か?

営業日報を書かせること自体が無駄になっているケースは、実は少なくない。しかし営業日報を廃止して有効な営業指導を機能させるためには、ある高いハードルを越える必要がある。


営業改革における「課題」と「解決法」は基本的には個々の会社で異なるが、営業マンに日報を書かせている会社の場合、それを続けるべきかが論点になることが少なくない。

というのも、営業日報をちゃんと書くには毎日1時間程度(人によっては1時間半以上)の時間を費やす営業マンが多いのだが、大概はその時間に見合うだけの付加価値を生んでいないからである。

特に悩ましいのは、営業日報を書くこと自体が目的化し、詳細な日報を書き上げて「仕事をした」気になってしまうことである。

多くの大手コンサルティング会社の「解決法」は、SFAシステム等の活用により営業日報を効率的に書かせることである。

ちょっと前ならノートPC、今ならスマホかタブレット端末を使って、出先から移動時間や昼休みなどの隙間時間に営業状況を報告させるので、直行直帰もできて効率的。報告の基本パターンもあらかじめ登録しておいてプルダウンメニューで選べるので素早く入力できる。あとは自由記入欄で補足するだけ、と謳う。

確かに従前よりは効率的になるが、本質的解決からはほど遠いと思う。

そもそも営業マンに日報を書かせる目的は何だろう。こう尋ねると、「営業マンの行動や案件の状況を上司やその上の幹部が把握するために決まっているだろう」とお叱りを受けそうだ。

しかし営業幹部が個々の営業マンの日報に目を通している会社は稀である。直属の上司でさえ毎日は目を通せず、週に1~2回に分けているという例が圧倒的に多い(実は、全部に目を通すだけでもマシなほうである)。

それでも毎日書かせるのは、「上司が読んでいる」というプレッシャーを与えることで営業マンにサボらせないため、というのが多くの営業組織の本音であろう。

しかし本当に「サボり癖」のついた営業マンは、辻褄を合わせるためにさらに時間を使って営業日報を作り上げてしまうので、上司は文章を読むだけでは見抜けない。サボらずに真面目にやっている営業マンは、その日報を書いたからといって行動や顧客への提案内容が変わるわけではない。

つまり、確実に営業マンの時間を消費しながら本来の役割は果たせず、何の付加価値も生み出していないのだ。

特にサービス残業が常態化しているような忙しい営業組織の場合、いっそのこと日報を廃止してしまうと、意外と簡単に余裕時間を捻出できてしまう。もちろん単に日報を廃止するだけでは、上司も営業状況を全く把握できず、何より会社として不安だろう。そこでどうするかは個別の解決策を考える必要がある。

小生の経験では、日報を廃止する代わりに営業マネージャーが面談で状況を把握し、直接に助言・指示をすることを基本にすることが有効なケースが少なくない(もちろん、具体的なやり方は個々のケースで異なる)。

観察しながら適切な質問をぶつけることができるので、営業マンがサボっている場合にはすぐに見抜けるし、状況急転の兆候に気づけずに手遅れになることもほぼなくなる。

ただし、このやり方が機能する条件が一つある。営業マネージャーに経験と時間があることである。

マネージャーになっている人は営業で実績を上げて出世したというのが普通なので、経験のほうは大概問題ない。では時間のほうはどうか。残念ながら、営業ノルマを持つプレイングマネージャーの場合には、部下に対し丁寧な指導をすることは現実的には難しい。どうしても自分のノルマを果たしてからでないと、そんな余裕は生まれないからだ。

したがってこのやり方を採用するためには、基本的に営業マネージャーからノルマを取り除き、営業チームのマネジメントに集中させるという大きな方針転換が必要になる。実はここが一番高いハードルなのである。

(本稿は2013年6月のコラム記事に加筆修正したものです)

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インド緑化に半生を捧げた男・杉山龍丸の生き様

この夏はオリンピックと共に、様々な終戦前後や戦後の秘話に基づくドキュメンタリーもしくはドキュメンタリードラマが放送された。忙しさのため録画されたものをなかなか観ることができなかったが、少しずつ追いついている。特に人間性そのものに迫る良質な作品が多い。

その一つがNHK BS1で7月23日(土)に再放送された『将校は、砂漠に木を植えた~インドに渡った隼戦闘隊員~』というドキュメンタリーだ。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2420449/

戦前、戦中、戦後にかけて、ある一人の人物の生き様を追う。主人公は、比島作戦に参加した陸軍飛行第31戦隊の整備隊長だった故・杉山龍丸氏。祖父は政財界のフィクサーともいわれた杉山茂丸、父は作家の夢野久作である。

名家に生まれた彼は、戦前、陸軍士官学校から陸軍航空技術学校へ転科となり、そこで軍人でありながら戦争中止を訴え、画策する。しかし、その行動が上部に嫌われフィリピンの最前線へと送られた。

レイテ戦において最後まで戦闘機を保持した部隊。日米航空機の生産技術の違い、司令部の目論見の甘さ、様々な不条理の中で、彼は日本の大義を冷静に見つめ闘い抜く。しかし昭和20年3月末、突然フィリピンからの脱出命令が下る。これに従い部下を残して帰国したことが後に、彼に深い悔恨を残す。

戦後、杉山龍丸氏はインドの砂漠緑化にその生涯をかけた。先祖伝来の農園を全て売り払ってまでも。インドの政府や個人の協力を得て、インドの各地にあった砂漠地帯や土砂崩壊の地域を緑化したが、日本の政府や企業などからは理解や協力が得られず、日本ではあまり知られていない。インド、パンジャブからパキスタンまでの国際道路のユーカリ並木とその周辺の耕地は杉山の功績であるとされている。凄い人物だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E9%BE%8D%E4%B8%B8

戦地で書かれた整備日誌、戦後書かれた手記や書簡をもとに、彼の行動の背景にあった思いに迫った良質の番組だった。

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