絶景と露天風呂、そして手抜きの宿

絶景と野趣を楽しめる山頂のホテルは旧公共の宿。絶好の環境と露天風呂を台無しにする手抜きの数々が気になった。


その地は大きな湾が特徴的だ。遠くに半島がぼんやり見え、近くに複数の島が海上に浮かぶ風景を湯舟からも眺められることで人気の、伝統的な観光地だ。しかしバブル崩壊に抗うように進められた開発の一環で、湾のど真ん中の海浜を埋め立てて建設された人工的な大型リゾート施設を皮切りに、リゾートマンションや商業施設の建設が進んでしまったせいで、今や湾沿いの中心地域は容貌を変え、本来の情緒はまったく無くなってしまっている。

そこにある温泉の一つは湾の近くではなく山の上にあって、前述のような「海と湯舟が一体化している」ような感覚は得られないが、露天風呂や夜景などの評判がよいので、出張のついでに小生も足を延ばして泊まってみた。

そのホテルは山頂近くにあり、鬱蒼とした森を越えたはるか眼下に町全体と湾と半島を見下ろす、素晴らしい眺望の地にある。送迎バスに揺られながら想像した光景が、デッキから観ると本当に目の前に広がるのだから、わざわざ来た甲斐があったと感じたものだ。そして部屋に入ってみても窓からはやはり素晴らしい緑と青の対比を臨めた。

値段に比べて部屋の作りのしょぼさは確かに少し気になった。調べてみるとなるほど元々は「Kの宿」ということで、部屋は狭くはないが古臭い構造デザインだ。民間会社が買い取って、畳や天井、壁紙など目立つところだけ改装したのだろう。

例えば部屋付きの便所にはシャワートイレが設置されてはいたが、洗面所に掛けてあるタオルはゴワゴワで、しかもハンガーの位置が低いため、だらしなく手前に垂れている状態だ。きっと「Kの宿」時代から同じなのだろう。

最も残念なのは、柱や木の調度についた無数の傷をそのままにしているため、表面が少々白けて余計に安っぽく見えることだ。ステインやワックスなどの塗料を塗るだけでコストの割に一挙に高級感が出せるのに、と残念に感じた。

しかしホテル自慢の露天風呂は別格だった。建物の屋上に加設されたもので、山頂からの景色を湯舟から眺めることができる造りになっており、絶景と野趣が入り混じった感動を与えてくれる(ちなみに寒風吹きすさぶ冬には背の高い人には肩が寒いかも知れない)。夕方になって一人風呂の際に小生も堪能させてもらった。

その日は夜になると曇ってしまったので目にすることはできなかったが、晴れた夜には眼下にある街の夜景と対比された満天の星空を堪能することができるそうで、これが同ホテルの人気の秘密だ。小生は行っていないが大浴場からもガラス越しによい眺めが得られるようだ。

しかし風呂の後の食事からがいけない。

レストランではいかにもバイトのお兄ちゃんが暗記丸出しの説明をしてくれたのだが、品書きの順とは違い、鍋物より先に天ぷらを出すことを薦める。多分、早く片づけたいのだろう。既に火にかけ始めた鍋物が天ぷらと「同時上映」にならないか心配した小生が確かめると、大丈夫という。じゃあということでお薦め通りをお願いしたのだが、結局見事にバッテイングした。冷めないよう天ぷら4種を焦って食べ、火が消えた鍋物を一挙に口にした後にお造りが出てくるという、いかにもちぐはぐな食事順となってしまった。

しかもご飯とお味噌汁(つまり「締め」)をいただいた後に、しばらくしてからやや濃い味付けの煮物が登場した。お兄ちゃんには「ご飯とお味噌汁の前に出して欲しかったね」とだけ言って、一口かじって終わりにした。これは品書きの通りの順だったので料理長の判断によるのだろうが、締めのご飯とお味噌汁の後に間を空けて煮物を出す感覚がよく分からない。

食事の後に残っている仕事を仕上げていると、ビールを飲みたくなった。入館時に渡された施設説明を見ると、別フロアに自販機コーナーがある。しかし行ってみると、そのフロアは薄暗い。自販機コーナーまでようやく辿り着いたが、電源が入っている様子はなく、辺りはほぼ真っ暗だ。びっくりしてフロントの若い衆に尋ねると、「本日はそのフロアは閉鎖でして、自販機は地下1階にございます」と涼しい顔で言われた。ホテル到着時にそうした説明はしてくれよと呆れてしまったが、せっかくの温泉旅行なのでこちらもなるべく気にしないようにした。

さすがに山の中、夜が更けると寒く感じたので、部屋のエアコンの温度設定を少し上げ、風量も中から強にした。食事から戻った時にオンにしたのだが、あまり効いていなかったためだ。それから1時間半ほどで仕事を片付け、寝床についた。

夜半になって喉の渇きに目が覚め、気づくとセントラルヒーティング方式?のエアコンが猛烈な音を立てており、寝苦しい暑さだ。どうやら寝入ってからエアコンが本格的に作動したようだ。慌てて温度と風量を下げたが、しばらく待っても大した違いは感じられない。1時間半以上も作動しないスイッチとは困ったものだ。

翌早朝、クリアな風景を楽しみたくて再度露天風呂をいただいた。今度は女湯と場所が入れ替わっていた。他に誰もおらず、やはり素晴らしい眺望とお湯だ。小生が風呂から上がると入れ替わりに中国人か台湾人の男性3人が入ってきて、浴場はほぼ満員になった。しかし帰り際にエレベータ横に設置された繁閑状況を示すディスプレイを見ると、男性露天風呂は「空き」のままだった。この表示は全く当てにならない。

目立つところにはそれなりのコストを掛けているのだろうが、基本的な部分で手を抜き過ぎていると小生には思えるので、リピートする気にはならない。宿泊客は表面的なことしか気にしないと軽んじているホテルはいつか客離れに泣くことになろう。

(営業妨害はしたくないので個別名称は避けていますが、そのホテルの当事者ならピンとくるでしょう)
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自動運転車と一般車が混在する過渡期における注意点

自動運転車と一般車(非自動運転車)が混在する過渡期は意外と長く続く。その間、自動運転車によって事故が誘発されるケースもあり得るし、事故処理と保険処理のルールは相当混乱しかねないと、今から注意喚起しておきたい。


自動運転が普及した社会の姿はバラ色に描かれることが多い。即ち、「渋滞が解消され、事故がなくなる」「行先に到着してから不要となれば、車を自宅に戻しておくこともできる」「運転に不安のある高齢者でも行きたいところに行ける」等々。

しかしそもそも皆がすぐに自動運転車に切り替えるわけではないので、自動運転車と一般車(非自動運転車)が混在する過渡期がこれから何十年も続くという冷静な状況認識が必要だ。その過渡期においては相当ややこしい事態や混乱が生じることを覚悟しておいたほうがいい。第一、自動運転車によって事故が誘発されるケースも考えられるのだ。

例えばこういうことだ。第三者の一般車(または歩行者や自転車)が少々危ない行動をしたために、事故を回避しようとした自動運転車が交通法規を守った上で最善の事故回避策を採っているのだが、他のドライバーやライダーから見てあまりに予想外の行動(例えば強烈な急ブレーキと急ハンドル)に出ることにより、そのリアクションとして周辺のドライバーやライダーがパニックになって誘発事故を引き起こす、ということが十分考えられる。特に二輪車はそうした事故の「二次被害者」になる有力候補だ。

いわば個別最適でプログラミングされている自動運転車が全体としては事故誘発要因の一つとして作動するという構図だが、自動運転車側に交通違反はないので、建前上問題にもできないだろう。そして本来とがめられるべき、元々の原因を作った第三者の一般車(または歩行者や自転車)は特定すらできないケースが大半だろうし、仮に特定できたとしても自動運転車が誘発した事故の責任まで負わせることができるケースは相当限定されるだろう。

関連する話として、自動運転の公道への適用に関し現在論点となっているのが、万一事故が起きた時の責任は車に乗っていたユーザーにあるのか、車のオーナーにあるのか、それとも自動運転車のメーカーにあるのかという点である(車のユーザーとオーナーを切り分ける必要があるのは、自動運転タクシーやライドシェアを念頭に置いているからである)。

この点に関する世界的な議論の趨勢はまだ見通せないが、自動運転の普及を促すためには製造者責任だという結論に大半の国が至る可能性が高いと小生は見る。それは自動車輸出大国である日本でも同様だろう。

そして長い実証実験とバスなどの先行自動運転化、国交省の厳格な検査を経て自動運転車の一般市場への投入が行われた暁には、きっと「自動運転車の安全機能はほぼ完全であり、過失は考えにくい。事故の原因は人間の側のミスにあり」という判例が続出し、やがて一旦確立するだろう。

これにより事故処理と保険処理のルールが大きく変わる(正確には、自動運転車が絡むケースがそれぞれ加わり複雑化する)と予想されるが、それが新たな論点を生むことになる。

事故/保険処理に関するルールは、信号の有無、優先の有無、速度超過の有無、直進・右左折など様々な要素の組み合わせにより決まる、かなり複雑なものだ。そしてそれは長い間の判例の積み重ねにより確立してきた。しかし自動運転車の登場でもう一度整理が必要になり、再確立まで相当な期間を要しよう。

信号がない交差点での車対車の出会い頭の衝突事故を例に挙げる。片方が優先道路でどちらも速度超過はなく、両者とも減速したが衝突した。今のルールでは、そんな状況でも優先車と劣後車の過失割合(%)は0対100ではなく10対90とされる。優先車のほうにも事故を避けられなかった「過失」があるという考え方だろう。

しかし優先車が自動運転車で劣後車が非自動運転車であれば、保険会社による事故補償の過失割合(%)は0対100に変更されるのではないか。つまり「過失の考えられない自動運転車でさえ避けられなかった事故なのだから、一方的に劣後車のドライバーが悪い」という話だ。

実際、事故の99%はその通り、一般車のドライバーの過失だろう。しかしそうした実例と判例が重なると、今だって思い込みに固執しがちの警察による事故現場の検証はおざなりになり、「仮に一般車(非自動運転車)vs自動運転車の事故が起きたら一方的に一般車のドライバーの責任としてよい」という不文律が一旦確立するのではないか。

しかし多様な交通現場に直面する自動運転プログラムに完璧なんてあり得ない。例えばたまたま直前に先行したトラックが油を現場路面に少々落としてしまったといった特殊な状況にあれば、自動運転車に(あらかじめ想定できない)おかしなスリップが生じ、それが事故の主要因の一つになることだって十分あり得る。

先に挙げた出会い頭の衝突事故の例は最もシンプルで、一番自動運転車の優位性を発揮しやすいケースだ。しかし優先側が非自動運転車で、劣後車が自動運転だったらどう考えるのか。優先が特になかったら…。一挙に悩ましくなるだろう。

そうした微妙なケースが実際に幾つか積み重なった上で、さらに「自動運転車vs自動運転車」の事故が起きれば、「本来あり得ない組み合わせ」として相当な物議を醸すだろう。鬼の首を獲ったように「あなたの身の周りに暴走『自動運転車』が潜んでいる」などと恐怖感を煽り立てるマスコミの姿が目に浮かぶ。ネット上にはありとあらゆるネガティブキャンペーンが書き込まれるだろう。

その結果、一旦確立したはずの事故処理と保険処理のルールが再び動揺し、混乱する可能性が高いのではないか。

以上のような混乱を避けるためには、自動運転車が市場に投入されて非自動運転車と混在する事態を想定した議論を今から十分に重ねておくしかない。

PS 誤解して欲しくないので付け加えるが、AI絡みの仕事が多い小生は自動運転の積極的賛成派だ。

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プランニングは役に立たないか

計画通りに物事が運ぶことなどない。だからプランニング(計画づくり)など無駄だと公言する人たちがいる。そういった人たちは面倒がっている自分を誤魔化しているか、物事を深く考えていないだけだ。


「我が社は事業計画を立てない」と公言する会社が注目されたり、「計画は立てないほうが人生はうまくいく」という趣旨の本が注目されたりしている。そのせいか、若い人たちの一部に「計画なんて立てても無駄。だってその通りに物事が進むことなどないのだから」という理屈から、仕事上の計画づくりに否定的な人たちが増えているそうだ。

中小企業になると金融機関に金を借りる時以外は事業計画もすっ飛ばしている例が少なくない。彼らは実は「不要だ」と確信しているのではなく、「面倒」かつ「やり方もちゃんと知らない」ので「やらずに済ませている」だけだが、後ろめたい気持ちを抱えているので、何やかやと正当化の理由(言い訳の理屈)を探し出しているのが現実のようだ。

問題は、本当に「計画なんて役に立たない」と考え実際に計画を立てることを避ける人たちや、社命により嫌々ながら計画づくりを仕事で行っているが、本当は無駄な作業だと考えており、確信犯的にテキトーにお茶を濁している人たちの存在である。大企業や中堅企業でも結構いるのである。

でもちょっと待って欲しい。こうした人たちの論拠「計画なんて立てても無駄。だってその通りに物事が進むことなどないのだから」は本当に正しいのだろうか。

ドワイト・D・アイゼンハワーという人物をご存じだろうか。連合国軍とNATO軍の最高司令官、第34代大統領を歴任し、米国民からはアイク(Ike)の愛称で親しまれていた、当時も今も人気の政治家だ。

彼の言葉に次のようなものがある。「私はいつも、戦闘のための計画(プラン)を立てながら、計画自体は役に立たないと感じてきた。しかし立案(プランニング)は必要不可欠である」と。非常に明確であると思うが、ポイントを分かっていただけるだろうか。

彼の言いたいのはこういうことだ。計画(プラン)自体は直接的には役に立たない。なぜなら計画通りに事が運ぶことなどないから。しかし立案(プランニング)は必要不可欠だ。なぜなら計画プロセスを踏まえることで、
1) 全体を体系的に考えることになり、課題を認識しどう克服していけばよいかをシステマティックに考えることができる
2) 生じ得る障害やリスクを一通り考えることができることで(全てとは言わずとも)多くをあらかじめ対策でき、被害や失敗を最小限に食い止めることができる
3) 何を警戒すべきかをあらかじめ分かっていることで心構えができ、いざ似たような問題事態が生じた際にも慌てずに冷静に、しかも迅速に対処できる
4) レビューすることで計画通りに運ばなかったことは何かが分かり、次からはもっとうまくやれるように改善するサイクルに入ることができる
といったことが挙げられるだろう。

多くの人にとって事業計画づくりは必ずしも身近ではないかも知れないが、学祭の模擬店出店計画や、地域・会社の防犯や防災の計画・訓練をイメージしてもらえばよい。各自の頭の中だけだと何が抜けているのか分からないため、一通りのやるべき事柄を紙に書き出して、気になる点を関係者で議論した経験はあろう。あれこそが計画づくりの原点だ。

防災計画を例にとれば、「〇時〇分に△△から出火し、××フロアで燃え広がった想定とします」といった仮定の通りの事態が起きるなどとは誰も考えていない。しかしああいった計画を踏まえて訓練を一度体験しておくだけで、「ああこのビルからはこうやって脱出すればいいのか」と皆が理解しておくことができ、不幸にして実際の火災が(まったく別の時間帯に別の原因で)起きたとしても、大勢の人たちが混乱なく逃げおおせるのだ。

それと同様に、事業計画づくりもやることの効用は大きく、やる必要があることなのだ。ただしやるからには、当該ビジネスの構造からどういった要素が成果を左右するかを考え抜いて、徹底的に先読みをして生じ得る障害やリスクを洗い出して欲しい。中途半端にお茶を濁すのは労力的には無駄、かつ却ってリスキーだからだ(周りを安心させる一方で、見落としが多くなるため)。

最後に付け足しを2つ。

小生は毎期の事業計画づくりは必須だと考えるが、多くの企業の中期計画づくりに関してはピントがずれていると感じる。

それは前提の置き方が中途半端なためで(中期が3年程度のスパンであるため環境変化要因を小さく捉えてしまうためではないか)、大胆な指針になっておらず、むしろ現状の延長になってしまっているケースが少なくないことだ。それなら毎期の事業計画でカバーすればいい。中計の要諦は環境変化の大胆な先読みだ。

もう一つは、事業計画づくりの前提としての事業戦略の策定・深掘りにもっと知恵と時間を掛けるべきだということだ。前の点(中期計画づくり)とも関連するが、どの事業でも環境変化はますます激しくなろうとしている。

従前の戦略を前提にきめ細かい計画づくりを進める前に、前提条件は正しいのか、そこでライバルを蹴落としてサバイバルし、顧客にもっと大きな価値を提供できるフォーカスの観点はないのか、是非とも今一度見直してからにして欲しい。

戦略がしょぼくては、いくら事業計画づくりにきちんと取り組んで準備・実行しても、優れた戦略を持つ競合には負けてしまうのだから。

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フォーカスしながら新規事業開発を進める

『フォーカス戦略』と『新規事業』は矛盾すると思っている人が多いが、実はそうではない。しかし単純に本業集中だけやっていればよいと考えるのは『フォーカス戦略』ではないし、漫然と新規事業の企画・開発を進めていると事業のフォーカスが失われるのは間違いない。


年末に古い知人と久しぶりに会った時、彼は小生の名刺の裏にある「新規事業に関する戦略コンサルティング」という当社の売り文句を見つけて、「これは日沖さん得意の『フォーカス』と矛盾しないの?」と聞いてきた。20年ほど前に小生が『フォーカス喪失の罠』という本を出版したことやフォーカス戦略を中心にコンサルティングしてきたことを、彼はよく覚えていた。

つまり彼の頭の中では『フォーカス』と『新規事業』は矛盾する概念だったのだ。世間一般でもこうした捉え方は少なくないだろう。新規事業を開発すればするほど事業は拡散しフォーカスは失われる、と。

しかしそれは、確固とした戦略なしに漫然と新規事業を企画・開発していく場合の話である。当社のクライアントが展開する新規事業は逆に、フォーカス戦略を強化する方向で開発されている。どういうことか。

自社が業界一となれる領域を見定め、そこに資源を集中投入し(手段としてはM&Aを含む)、競争優位性を構築し、確固とした地位を築くのがフォーカス戦略である。失われた20年を経てようやく日本企業にも浸透してきた戦略概念だが、まだまだ誤解が多い。本業への集中と単純に理解している人が随分多いのだ。その理解だと、本業以外の新規事業は全て『非フォーカス』ということになってしまう。

しかしフォーカス戦略の肝心な部分は、本業周辺への戦略的な投資と事業展開により「フォーカス領域」を形成し、そこでの競争優位性を固めるところにある。それによってフォーカス領域においては絶対的な第一人者になり、圧倒的優位を確保するのだ。

この戦略を忠実に守っている例が「世界No.1の総合モーターメーカー」日本電産だ。色々な買収を行っているため無軌道に戦線が拡大してきたように誤解している向きがあるが、精密小型モーターの開発・製造に役立つかどうかで事業展開も買収の可否もずっと判断されてきた経緯がある。フォーカス戦略に沿ってがむしゃらに働けば世界一にもなれるという見事な例だ。

つまり『フォーカス戦略』と『新規事業』は矛盾しない。それどころか『フォーカス戦略』を強化するためには、フォーカス領域における果敢な「新規事業」投資も必要になってくるのだ。いわばフォーカス領域におけるドミナント状態を作るのだ。

戦略性のない漫然とした新規事業開発だと横方向に戦線が広がっていくだけだが、『フォーカス戦略』に沿った新規事業開発だと縦方向に深掘りしていくイメージだ。

こうした『フォーカス戦略』と『新規事業』の関係は大企業に限った話ではない。いや、むしろ中小企業こそよく考える必要がある。なぜなら中小企業にとって、どの領域でどうやって業界一のポジションを築き、そこでどうやってドミナント状態を作るのかを考えることが結局は事業発展の鍵だからだ。

このときに最もクリティカルなのが、「フォーカス領域」の範囲だ。単純に従来の本業をそのままフォーカス領域としては発展もしないし、大手を含む競合に周りを取り囲まれかねない。かといって無闇に広く捉えてしまうとただでさえ乏しい資源が分散してしまうので、競争優位性を築けずに終わってしまいかねない。むしろ当面のフォーカス領域、その先10年のフォーカス領域、といった具合に段々広げていけばよい。

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顧客接点にこそボトルネックが生じやすい

企業は激しさを増す競争環境の中で自社の競争優位性や差別化点を精一杯アピールし、何とか顧客の関心をつなぎとめようと工夫している。そのための致命的に重要なポイントになるのが顧客接点だ。しかしそこにこそボトルネックが生じやすい。


私事で恐縮だが、師走に入ってしばらくしたある日の昼過ぎ、何の前兆もなく、我が家でビデオを見られなくなった。何度も接続ケーブルを差し直したが効果はない。テレビ単独では見られるし、テレビ側では「信号が来ていない」と表示される。しかもビデオデッキの小さな液晶画面の表示変遷には特に違和感がない。この時点でどうやら接続ケーブルが故障したんだろうと小生なりに見当をつけていた。

メーカーS社の問い合わせ窓口に連絡したが電話予約には時間が掛かるので、LINEでのチャットでカミさんが症状を伝えた。すると先方からは「症状から判断するとビデオデッキ本体に問題がある可能性が高いので、修理窓口宛に本体を送ってください」との回答が来た。

多分接続ケーブルの故障だと見当をつけていた小生は意外に思い、LINEでのやり取りを確かめたが、メーカーの修理窓口がそう言うのだから仕方ないとビデオデッキを外し、送付準備を始めた。しかし思いついて系列の家電店を探し、連絡した。接続ケーブルの故障だったら系列店にあるケーブルで接続して問題なく映るはずなのですぐ判明して、ケーブルを買えば済むと考えたのだ。

実際にその系列店(あまり近所ではなかった)にビデオデッキを持ち込むと、なぜか(多分、素人が運んだせいでハードディスク=HDを揺らしたせいだろう)電源を入れてもビデオデッキがなかなか立ち上がらない。系列店の店主はすぐに「あぁこれはダメだね。本体がやられてる」と断言して、メーカーに送る手はずを始めようとした。

小生はHDが揺らされた影響とケーブル故障の可能性が高いことを主張して、店にある接続ケーブルをつないでもらったが、さらに1~2分ほど待ってもビデオデッキは立ち上がらない。他の客はいなかったが、店主が「こんな状態になったらまともに機能したことがない」と言い張るのでメーカーに送ることに同意し手続きした。

それから1週間余り、(それまでタイムシフト視聴に慣れ切った我が家の混乱や戸惑いは置いといて)まったく音沙汰がないのでしびれを切らした小生が店に連絡した。メーカーに問い合わせしてもらうと、その夕方に「メーカーのほうでずっと見ていても再現されないそうです」と返事があった。そこで「ケーブルに故障は?」と確かめると、あれこれFAX書類をめくる様子があり、やがて「あー、ケーブル不良とあるね」と一言。要はケーブルが悪かったことが判明したのだ。

さらに3日ほど時間がかかってようやく店からデッキを回収でき、買ってきた接続ケーブルで接続したところ、全く問題なく、録画してあったビデオを観ることができた。くれぐれも残念なのは、この一週間のロスで、家族が楽しみにしていた連続ドラマの最終回一つ前の回を多く見逃したことだ(リアルタイム視聴は我が家には難しすぎた)。

長々と我が家の「痛い」エピソードを伝えたのは、これが家電メーカーの戦略のボトルネックに関係するからである。

御周知のとおり、日本および世界では小売りの世界の主役が小規模店から大型量販店に、そして最近ではネット優位にシフトしている。そうした比較的新しい販売チャネルでは故障やトラブル対応に十分な対応ができないため、メーカー独自に問合せ窓口のコールセンターを拡充している。そこでは電話応答の待ち時間が延びる傾向にあるため、チャット問い合わせの採用も急速に拡がりつつある。

もう一方で、高齢化が進む日本市場では、修理や細々とした消耗品などを提供する身近な相談窓口として、地域に根差した系列ショップを既存家電メーカーは再び武器にできる可能性が強くなっている。件のS社の系列店はそういう戦略的な位置づけにある店の一つなのだ。

しかしこの記事で指摘したように、こうしたメーカーの戦略意図とはまったく異なる状況が現出している可能性がある。

S社のLINEによるチャット問い合わせの件は、「問診」技術が低レベルのためか症状の判断が適切でなく、「怪しかったらとりあえずメーカーにモノを送らせて、修理工場で対応すればいい」と安易に考えている節がある(今回判明したようにメーカーの修理工場もあまり賢明な対応をできないようだが)。これはメーカーとしてもコスト高になるし消費者の満足度を下げる方向に働きやすい。

今回のS社系列店の対応は地域のハブとして機能するにはあまりに知識や辛抱が足らず、「ややこしいのは取りあえずメーカーの修理工場に送ってしまえ」という姿勢があからさまだ。これもまたメーカーにはコスト高になるし、消費者の満足度を下げる「ダメ対応」の典型だ。

つまりメーカーS社の意図する「量販・オンライン販売の不備を補足するコールセンター(のチャット部隊)」も、「地域のハブとして身近で親切な中核ショップ」のいずれも機能しておらず、むしろメーカーの負担を増しながら消費者の不満を掻き立てるボトルネックとなっているかも知れないということだ。

こうした致命的なボトルネックの問題が大きくなる前に摘み取る方策としては、(昔ながらのやり方だが)専門企業に覆面リサーチを依頼するのが有効だろう。つまりメーカーに雇われている身分を隠しながら、機器故障で問い合わせするふりをして、自社の対応チャネル毎に定期的に巡回チェックするのだ。自社の顧客接点上での弱点を適時把握し、改善の手を素早く打つためには必要なコストだと思う。

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