AI時代の職業選びの難しさ

AIによる代替が進むこれからの時代、人手不足だからといって安泰な職業はごく少ない。よほど先を見て選ばないといけないと分かっていても現実的には難しい。いっそ特定の「職業」ではなく、将来求められる能力を開発できるか否かといった側面に視点を置いたほうがよいのかも知れない。


大学生にとっての職業選択と、企業にとっての新規事業の企画・開発はよく似ている。

自分(自社)にとっての得意なことや志向性と、世の中で求められるものが綺麗に合致することは理想。現実には、思い入れが強くとも競争が激しいなどの事情で、妥協・割り切りを余儀なくされながら紆余曲折した挙句、当初思ってもみなかった形に結実することもごく普通だ。

何より悩ましいのが、10年も20年も先の世の中での需要を見通すことなど誰にもできないという当たり前の事実だ。

企業の新規事業開発の場合、想定していた通りに市場が立ち上がらなければ、随時軌道修正して別市場にシフトすることができるし、そうした柔軟性・機動性こそがマネージャーの腕の見せ所だ。実際のところ、新規事業開発で視野に入れるのは(産業により大きな差があるが)最長ケースでも10年、通常なら5年程度に短縮されつつある。

しかし5年程度で転職しようと思って就職する就活生は非常に稀だろう。せめて10年、できれば30年ほどは安泰であってくれと願うのが人情だ。

ところが就活生(およびその親御さんたち)にとっては盤石に思えた就職先が、経営陣の間違いによって大きく傾くといった事態が稀ではなくなってきている(東芝やタカタといった最近の事例を思い出して欲しい)。

企業に就職する場合だけでなく、特定の職業を目指して大学を選ぶ段階から「将来に向けての目利き」が求められることも多いが、なおさら難しいものだ。その分、若者とその親御さんの判断は保守的になりがちだ。しかし従来型の職業観に凝り固まっていると、却ってリスクを背負い込むことになるのがこれからのAI時代の怖さである。

「こうした先を見通せない時代だからこそ国家資格を身につけよ」とはよく言われるセリフだが、弁護士や会計士といったサムライ業の専門職こそが次なるAIによる代替のターゲットだと指摘されている(ただしAIに直接代替されようとしているのは下調べをする若手である)上に、今でも供給過多気味だとさえ言われている。

そしてもっとショッキングなことに、公務員を含むホワイトカラーの仕事の半分はAIによる代替が可能であると言われる。かといってブルーカラーのうち単純労働の要素が強いものはロボットか途上国の労働者に代替され得るし、報酬が低い事情も大して変わらないだろう。

結局、AI時代に求められるのは、AIを使いこなして社会に貢献する「新しい仕事パターン」を確立する人たちである。その半分程度は今ある職業かも知れないが、残り半分は現時点で全く存在しないものかも知れない。

例えばAIを効果的に使って取引先と密接につながることで収入を大幅にアップできる、新しいタイプの農家や漁師かも知れないし、彼らにアイディアと仕組みを提供して最適な市場を次々に展開する新職業の人たち(「〇〇コーディネータ」とでも呼ばれる?)が大勢出てくるのかも知れない。

いずれにせよ、今ある職業を通じて開発された能力をベースに、AIを使いこなす「新しい仕事パターン」を開発することに取り組んだ人たちだけが、いち早くそのポジションに到達できるのだ。

そうしたことを考えると、各地の大学では、旧来型の職業を前提にした授業やゼミばかりではなく、地元の企業や住民を巻き込んで、こうした新しいやり方を率先垂範して試行する動きが今以上に求められるのではないか(実際、すでに幾つかの大学では小規模ながら取り組んでいる)。

たとえゼミや授業でトライした結果が失敗やショボい成果だろうと、そうした経験と意欲がある人たちこそが、企業や地元社会が求める人材である。社会の仕組みが変わっても対応できるだけの能力基盤が育まれているのだから。

そのためには企業側も即効性の研究成果ばかりでなく、人材育成の場としての大学に資金や協業の場を提供してもらいたい。是非、大学関係者と企業関係者はご一考を。

PS ちなみに、今現在もてはやされている職業の一つに、ビッグデータを解析し仮説を生み出す、データ・サイエンティストという人たちがいるが、AIがレベルアップすると代替される第一候補の一つとも云われる。最先端のコンピュータサイエンス絡みの花形職業でありながらこうした事態さえ生じるのが、この分野の怖さだ。もちろんデータ・サイエンティストたちも(多分)それは意識しており、この先数年以内に次のレベルにステップアップすることを目論んでいるに違いない。

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ゲスト・スピーカーの人柄に触れた教育懇談会

今日は娘の大学の教育懇談会という一種の父兄会(授業を観る訳ではないので参観日ではない)。そこでのゲスト・スピーカー、日本ホテル(株)常務取締役で東京ステーションホテル総支配人の藤崎斉氏の話を興味深く聞いた。

氏は小生と同じ年に大学卒業。いわゆる就活に失敗したという。久々に「若干名募集」としたFM東京を志望し、最終8次(!)面接まで2人が残り(他の内定を蹴った後)、結局落とされた。しかし後日知ったことによると、その年の採用数はゼロだったという。ビジネス人生の最初に企業の気まぐれに引っ掻き回された格好だ。

しかし氏はそこからむしろ光り輝く。リクルート子会社に拾ってもらい、それからホテルマンとして東京ヒルトン、ウェスティン、JALホテルズを渡り歩いて出世し、遂に国家プロジェクトたる東京ステーションホテルの総支配人に就くまでになったのである。いわば「業界の顔」の一人になったわけである。

氏の主張はしたがって、「人生はマラソンではない」「人生の価値は一つじゃない」「先の見えない現代、大切なことは『変化に対応できる人材』になること」「そのためにDiversityの環境に身を置き、人間としての教養を高めよ」ということだったと思う。リクルート出身らしく映像を多用して楽しいプレゼンだった。特にCommunication robot のJiboが可愛かった。
http://www.homecrux.com/2015/12/12/39513/jibo-worlds-first-family-robot-looks-after-you-and-your-family.html

氏の講演の最後は、まだ就職が決まっていない学生や、うまくいかない学生への同情と共感が詰まっていた。成功者でありながら驕慢さはつゆほどもなく、自身の蹉跌を思い起こしてごく自然に他社への共感が湧き出る、素晴らしい人柄を感じられた。この大学の良さの典型例なのかも知れない。

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地方の中小製造業を訪ねて

最近、地方の中小製造業の経営者の人たちにヒアリングする機会が続けてあった。その中で気になったのが彼らの投資意欲の弱さだ。たまたまかも知れないが、働き盛りの年齢でありながら多くは現状維持志向なのだ。町興しプロジェクトに関わる人たちの元気さを近頃見ているだけに対照的に感じた。

決して現在の経済環境が悪い訳でもなく、景気の先行きを悲観的にみている訳でも、自社の競争力に関し弱気になっている訳でもなく、ただ漠然と将来への不安が拭えない様子だった。

言葉の端から窺うに、一つには超円高不況やリーマンショックの際に金融機関の「貸し剥がし」を見聞きしたことが大きなトラウマになっている模様だった。もう一つは普段から体感する、昔に比べての地方の活気のなさが大きく影響しているのだと思う。高度成長期の経営者のように「明日はきっと今日よりよくなる」と無邪気に信じることができない哀しさだ。

地域の金融機関が「優良な融資希望先が限られており、収益拡大の機会が見つからない」と嘆くのは分かるが、その責任の一端は自分たちにもあるということを忘れてはならないと思う。同時に、こうした地方の閉塞感を破るための仕掛けを考える責任は自治体や金融機関および我々民間企業だけにあるのではなく、政治家にも大いにあるはずだ。

日本は不合理な円高水準を長い間放置するなど、製造産業の維持にあまりにも無頓着かつ無責任な期間が長過ぎた。そのせいで韓国や中国などに仕事と雇用を随分奪われてしまったことは事実だ。

その意味で、(具体的な施策の半分以上は必ずしも賛成できないが)米国のトランプ大統領が自国の雇用を増やすことに躍起になっている姿勢は日本の政治家も見習うべきだと思いえる。

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「盛り土問題」は他人事ではない Part2

権力者が何の気なしに言った言葉が部下には重要な指示と受け取られて、とんでもなく重大なもしくは滑稽な事態を引き起こすことが往々にしてある。もしかすると豊洲の「盛り土問題」はそのパターンだったのかも知れない。


以前、“「盛り土問題」は他人事ではない”と題したコラム記事にて、マスコミと都議会が論点のズレと優先度の取り違えに明け暮れる状況に対し、企業社会でも珍しいものではないと指摘したことがある。http://www.insightnow.jp/article/9437

しかし小池都知事がその後、矛先をオリンピック会場問題、そして都議選へと変遷させるにつれ、今や「誰が決めたのか?」という犯人探しはすっかり下火になった様相だ。しかし最近、知人がこの騒動の経緯を整理してくれた解説によると、どうやら発端は石原元知事だとのことだ。

関係者の話によると、都幹部との昼食会で石原知事(当時)が「盛り土より安く済む方法をある専門家から聞いたのだが、コンクリートの箱を重ねて埋め込むやり方のほうが工期も短く済むらしいぞ」などと発言したらしい(もちろん、具体的な表現は違うかも知れない)。それを受けて部下の都幹部の人たちがその方式に変更するようにしたのだが、何せ正式な会議で決めたわけではないから、どこの議事録にも意思決定の経緯が載っていない。

「誰がどういうプロセスで決めたのか」と問われても、正直に答えれば「そんないい加減な決め方で決めていいと思ってるの?」と突っ込まれるのが明らかなので、誰も答えようがなかったのだとのことだった。

その知人も当事者じゃなく伝聞なので、どこまで真実かは藪の中だが、いかにも有りそうな話だ。そして企業経営の場でもこうした事態は実は日常茶飯事なのだ。

経営トップが軽い気持ちで「こうしてみたら?」とサジェスチョン(推奨)したつもりの発言が、直属の役員・部下たちにとっては「天の声」として聞こえ、その意を汲んで関係者全員が先回りして万端抜かりなく整える、という状況である。経営トップ自身としては決定・指示したつもりは全くないにもかかわらず、だ。

例えば、CEOが軽いジョークのつもりで「明日のゴルフの前にゴルフ場近くの店を現場視察するかな?」と発言したがために、該当する店が休日の早朝にスタッフ全員呼び出されて直前まで大掃除させられた(でも結局、経営トップは来なかった)という例もある。禁煙家の社長が「ウチの煙草好きの連中は本当に仕事をしているのか?」と言ったために、彼らをさらし者にするような喫煙ハウスが社屋隣に建設された例もある。

経営トップが独裁的か高圧的で、そのせいで「腰巾着」的取り巻きが本質的なことを考えない連中ばかりであればあるほど、こうした滑稽な事態が繰り返される。

心ある部下は既に遠ざけられているため、「そんなアホなことは止めてください」と直言する声は聞こえず、経営トップは自らの指示の結果とすら気づかずに、その結末だけを見て、改めて「またウチの連中は無駄なことをやっておるわい。どうしてワシの気苦労を分かってくれんのか」と嘆くのだ。したがってその経営トップが引退するまでこうした悲喜劇は繰り返される。

ちなみに冒頭の石原元知事の話に戻るが、盛り土をしない決定の経緯はどうだったのかを問われて「何も知らない、僕は騙されていた」などと発言していることで、氏は知らぬ振りをしたとか責任逃れなどと非難されていた。しかし我が母校の大先輩の唯我独尊の性格からして責任逃れをすることは考えにくい。もし本当に自分が決定したという認識と記憶があれば、どんなに非難されようと「俺が指示したんだ。それが悪いか?」と開き直るはずだ。

現実には、そもそも自分が実質的に決定し指示したという認識が元々ないか(この可能性が一番高い)、(残念ながら既に耄碌されているとしたら)実際の経緯を忘れて被害者意識のみ強くなってしまっているかのどちらかだろう。

もう一つの「ちなみに」だが、「盛り土」の代わりにコンクリート壁の空間を作るというのはむしろ合理的なやり方であったという指摘を幾つか目にした。よくなかったのは、公明性大な意思決定がなされなかった上に、その経緯を正直に言えないがために誤魔化していることではないかと思う。

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高齢者ドライバーを抱える家族がすべきこと

認知症が疑われる高齢者ドライバーを抱える家族の心配は観念的なものではなく、現実的に家族崩壊さえもたらしかねない大きなリスクが迫っている。早めに検討し対策すべきだ。


最近多発し、世の中で急速に認識かつ憂慮されているのが、高齢者による巻き込み型の自動車事故である。ちょうど団塊の世代が前期高齢者(65~74歳)に到達したタイミングであり、急速に進んでいる高齢化社会では当然の現象とも言える。そして今後彼らが後期高齢者に達するに伴い、この問題はさらに深刻化しそうだ。

この時点でもすでに免許を返納している高齢者は順調に増えているとはいえ、後期高齢者全体の急増具合からすれば「焼け石に水」の状況だと指摘されている。後期高齢者になると認知症が急速に進んだり気を失ったりする懸念も高まる。そのため心配する家族が説得しようとしているが、高齢者である親が素直に応じることは少なく、言い争いになってしまって埒が明かないという話をよく聞く。

「自分はまだまだ耄碌しちゃおらんぞ」と反発する気持ちも強いが、現実問題として免許を失うと地方では移動の自由度が一挙に減るため、その抵抗たるや必死なのだ。警察や報道機関がいくらキャンペーンを張ろうが、自らの認知能力や反射神経の衰えを客観的に判断できる人たちの大半は既に自主的に免許を返納していると考えられ、残念ながら危険なドライバーが急増することは避けられそうにない。歩行者としては自らを守るべく、自動車が近づいてきたら身構えるよう習慣づけたほうがよい。

運転する高齢者を持つ家族の気が休まらないのは同情すべきだが、高齢者だから情状酌量されるというのは過去の話。既に81歳の過失運転に実刑判決例が出ている。
http://www.saitama-np.co.jp/news/2016/12/17/01.html

それでも仮に情状酌量が認められたり認知症が明らかだったりすると、高齢者の実刑は免れる。しかし併せて真剣に考えなければいけないのは、民事上の問題である。つまり高齢者が起こした自動車事故により巻き込んで死や重い障害に至らしめた被害者に対する賠償金である。これは家族崩壊につながりかねない切実な問題だ。

巻き添えを食って死亡した/障害を負った被害者の家族の悲嘆が通り一遍でないことは当然だが、被害者が一家の主たる稼ぎ手である場合、または将来のある若人や幼い子である場合、または認知症気味の高齢者に漫然と運転を続けさせていた家族の場合、やり場のない被害者感情は賠償金をさらに高額なものとするだろう。

それに対し、事故を起こした高齢者の認知症のレベルや状況によっては、保険金が減額、あるいは全額出ないことがあり得る(認知症の症状や状態によって免責事項に引っかかるかどうかはケース・バイ・ケースなので、家族としてはまず保険約款を確認すべき)。

仮に保険で十分な補償ができなくて民事訴訟を起こされれば、敗訴そして莫大な賠償金支払いという深刻な事態に陥る可能性が高い。刑事と同様、民事裁判の行方も加害者側に厳しいものとなろう。高齢者を抱える家族はこのリスクをきちんと認識すべきだ。

では、少々認知症の疑いがありながらほぼ毎日運転したがる高齢者を抱える家族にはどんな打ち手オプションがあるのだろうか。

理想を言えば自動運転車を利用することだが、一般道で一般車による自動運転が実現するのは随分先のことなので(「2020年をめどに」などというのは技術的に可能となるに過ぎない)、高齢者を抱えている家族は当てにしてはいけない。むしろタクシーが絶対的に不足する地方ではウーバーなどのライドシェアが認可され普及するほうが期待できよう(が、東京でのハイヤー配車を先行させるようなウーバー・ジャパンの経営陣にどれほど期待すべきか疑問も残る)。

家族にとっての現実的な第一歩としては、従来通りにクルマを運転することがどんなに危険なことかを本人に納得してもらわないといけない。しかし単に「年取ったんだから運転やめなよ」と頭ごなしに言うだけでは絶対に納得しないし、家族からの説得の場合には却って意固地になってしまうケースが多いようだ。

挙句の果てに鍵を隠してしまう家族もあるようだが、暴力沙汰になりかねないし、喧嘩の挙句に鍵を見つけてしまって運転する事態になれば危険極まりない。むしろ冷静に話合い、認知機能・反射神経の衰えを客観的に示したうえで、代替手段を提示してあげるのが重要かつ効果的だ。

衰えを客観的に示す方法としては幾つかあるが、75歳以上の高齢者ドライバーが運転免許更新時に義務づけられた「講習予備検査(認知機能)」を受けるのが多くの家族には身近だろう。公安委員会から委託を受けている教習所などで随時受けることができる。
http://www.npa.go.jp/annai/license_renewal/ninti/index.html

高齢者が「免許更新でもないのにそんな老人専門の検査なんか受けたくない」とダダをこねる場合には、別の手段がもう一つある。幾つかの損害保険会社や「Yahoo!カーナビ」などがドライバーの運転具合を診断するスマホサービスを提供しており(ネットで調べて欲しい)、保険契約者じゃなくても無料で利用できるものがある。「あなたの運転は不適切、ランクC、〇〇点です」などと客観的に評価されるので、これもお薦めだ。

ただし高齢者自身だけで利用するのはハードルが高いため、家族が自分のスマホにアプリをダウンロードしたうえで、何度か高齢者の運転するクルマに同乗して利用する必要がある。

ではそうした客観的評価を受けた後に、高齢者に提示すべき代替手段にはどんなものがあるのか。望ましい順に挙げてみよう。

一番安心なのはもちろん、免許証を返納させてクルマに乗ることを諦めてもらうことだ。しかし高齢者がそのまま家に引きこもることになっては一挙に認知症が進みかねない。

地元の役所に相談して、公的な移動支援サービス(路線バスの老人割引、オンデマンドバスや乗合タクシーなど)で使えるものがないか探すことが第一歩だ。しかし例えば早朝には運行していないとか、隣の市には行けないなど利用上の制約がきついため、そのままでは高齢者は納得しないだろう。そうした公的サービスではカバーしていない部分を補うよう、家族および地域のボランティア団体に運転手役を頼むことも是非考えていただきたい。

次に望ましいのは(先の手段とも組み合わせ可能だが)、普通のクルマを放棄してもらい、たとえ事故を起こしても誰も死傷させない低速度の乗り物に乗り換えてもらうことだ。具体的には、田舎ならトラクターが身近だし、もう少し都市部ならシニアカーと呼ばれる一人乗り電動車両が現実的だ。難点は、中長距離には向いていないことと、自分がどこにいるのか分からなくなった場合には帰宅できないことだが、探すべき範囲も限られているはずだ。

その次に望ましいのは、仮に認知遅れや誤操作で事故を起こしそうになっても衝突を回避してくれる機能を備えたクルマに乗り換えることだ。こうしたクルマが増えてきたことは実に喜ばしいが、事故防止に万全ではないことにも留意すべきだ。

例えば、ある程度以上の速度で歩行者や建物に突っ込んだ場合、衝突被害軽減ブレーキ機能が働いても相手を死傷させることは十分あり得る。ましてや高齢ドライバーが何らかの事態に慌ててしまい、ブレーキではなくアクセルを踏んでしまった場合には、自動ブレーキ機能は中和させられるか、解除されてしまうケースが結構ある。中途半端にブレーキを踏むことで解除される仕様もある。もしくは、ドライバーがハンドル操作で事故を回避しようとする場合、衝突被害軽減ブレーキは通常効かず、別の歩行者に突っ込むかも知れない。

最後に、そのブレーキとアクセルの踏み間違いによる事故をなくす有効な手段があることもお伝えしておこう。

メーカー純正のアクセルはブレーキと同じく「踏み込む」ことにより機能する構造だが、それがそもそもの踏み間違いを起こす根本的原因だ。高齢者に限らず人間誰しもパニック時には体が硬直し、足が突っ張ってしまう。つまり事故時には「踏み込む」動作をしがちなのだ。その直前にアクセルに置かれていた右足を「ヤバい」と思った瞬間に左にズラしただけではブレーキに至らず、間違ってアクセルを踏んでしまうことで致命的な事故が誘発されているのが現実だ。

熊本県のナルセ機材有限会社という中小工場が取り付けてくれる「ワンペダル」という製品は、非純正ながらこの問題を解決できるスグレ物だ。映像を観ないとピンとこないと思うが、右足を横に広げることでアクセルを動かし、ブレーキは従来通り同じ右足で「踏み込む」ことで動作する。実に理に適っている。
http://www.onepedal.co.jp/

自動車メーカーが純正として採用しないのが間違っていると思えるほどの発明だ。難点は、熊本まで出かけないといけないことと、あまりに人気で直近では数か月待ちとなっていることだ。

もし貴方の家族である高齢者が、年齢の割に元気で客観的にも認知症の疑いがない段階で、毎日仕事や趣味で運転したくて仕方ないと言い張り、それでも家族としては万が一の事故が心配なら、この最後の二つを組み合わせることをお薦めする。つまり「衝突回避機能搭載のクルマ」に買い替え、アクセル&ブレーキをナルセ機材の「ワンペダル」に取り換えるのだ。これなら事故の恐れは半減しよう。

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