自動運転車と一般車が混在する過渡期における注意点

自動運転車と一般車(非自動運転車)が混在する過渡期は意外と長く続く。その間、自動運転車によって事故が誘発されるケースもあり得るし、事故処理と保険処理のルールは相当混乱しかねないと、今から注意喚起しておきたい。


自動運転が普及した社会の姿はバラ色に描かれることが多い。即ち、「渋滞が解消され、事故がなくなる」「行先に到着してから不要となれば、車を自宅に戻しておくこともできる」「運転に不安のある高齢者でも行きたいところに行ける」等々。

しかしそもそも皆がすぐに自動運転車に切り替えるわけではないので、自動運転車と一般車(非自動運転車)が混在する過渡期がこれから何十年も続くという冷静な状況認識が必要だ。その過渡期においては相当ややこしい事態や混乱が生じることを覚悟しておいたほうがいい。第一、自動運転車によって事故が誘発されるケースも考えられるのだ。

例えばこういうことだ。第三者の一般車(または歩行者や自転車)が少々危ない行動をしたために、事故を回避しようとした自動運転車が交通法規を守った上で最善の事故回避策を採っているのだが、他のドライバーやライダーから見てあまりに予想外の行動(例えば強烈な急ブレーキと急ハンドル)に出ることにより、そのリアクションとして周辺のドライバーやライダーがパニックになって誘発事故を引き起こす、ということが十分考えられる。特に二輪車はそうした事故の「二次被害者」になる有力候補だ。

いわば個別最適でプログラミングされている自動運転車が全体としては事故誘発要因の一つとして作動するという構図だが、自動運転車側に交通違反はないので、建前上問題にもできないだろう。そして本来とがめられるべき、元々の原因を作った第三者の一般車(または歩行者や自転車)は特定すらできないケースが大半だろうし、仮に特定できたとしても自動運転車が誘発した事故の責任まで負わせることができるケースは相当限定されるだろう。

関連する話として、自動運転の公道への適用に関し現在論点となっているのが、万一事故が起きた時の責任は車に乗っていたユーザーにあるのか、車のオーナーにあるのか、それとも自動運転車のメーカーにあるのかという点である(車のユーザーとオーナーを切り分ける必要があるのは、自動運転タクシーやライドシェアを念頭に置いているからである)。

この点に関する世界的な議論の趨勢はまだ見通せないが、自動運転の普及を促すためには製造者責任だという結論に大半の国が至る可能性が高いと小生は見る。それは自動車輸出大国である日本でも同様だろう。

そして長い実証実験とバスなどの先行自動運転化、国交省の厳格な検査を経て自動運転車の一般市場への投入が行われた暁には、きっと「自動運転車の安全機能はほぼ完全であり、過失は考えにくい。事故の原因は人間の側のミスにあり」という判例が続出し、やがて一旦確立するだろう。

これにより事故処理と保険処理のルールが大きく変わる(正確には、自動運転車が絡むケースがそれぞれ加わり複雑化する)と予想されるが、それが新たな論点を生むことになる。

事故/保険処理に関するルールは、信号の有無、優先の有無、速度超過の有無、直進・右左折など様々な要素の組み合わせにより決まる、かなり複雑なものだ。そしてそれは長い間の判例の積み重ねにより確立してきた。しかし自動運転車の登場でもう一度整理が必要になり、再確立まで相当な期間を要しよう。

信号がない交差点での車対車の出会い頭の衝突事故を例に挙げる。片方が優先道路でどちらも速度超過はなく、両者とも減速したが衝突した。今のルールでは、そんな状況でも優先車と劣後車の過失割合(%)は0対100ではなく10対90とされる。優先車のほうにも事故を避けられなかった「過失」があるという考え方だろう。

しかし優先車が自動運転車で劣後車が非自動運転車であれば、保険会社による事故補償の過失割合(%)は0対100に変更されるのではないか。つまり「過失の考えられない自動運転車でさえ避けられなかった事故なのだから、一方的に劣後車のドライバーが悪い」という話だ。

実際、事故の99%はその通り、一般車のドライバーの過失だろう。しかしそうした実例と判例が重なると、今だって思い込みに固執しがちの警察による事故現場の検証はおざなりになり、「仮に一般車(非自動運転車)vs自動運転車の事故が起きたら一方的に一般車のドライバーの責任としてよい」という不文律が一旦確立するのではないか。

しかし多様な交通現場に直面する自動運転プログラムに完璧なんてあり得ない。例えばたまたま直前に先行したトラックが油を現場路面に少々落としてしまったといった特殊な状況にあれば、自動運転車に(あらかじめ想定できない)おかしなスリップが生じ、それが事故の主要因の一つになることだって十分あり得る。

先に挙げた出会い頭の衝突事故の例は最もシンプルで、一番自動運転車の優位性を発揮しやすいケースだ。しかし優先側が非自動運転車で、劣後車が自動運転だったらどう考えるのか。優先が特になかったら…。一挙に悩ましくなるだろう。

そうした微妙なケースが実際に幾つか積み重なった上で、さらに「自動運転車vs自動運転車」の事故が起きれば、「本来あり得ない組み合わせ」として相当な物議を醸すだろう。鬼の首を獲ったように「あなたの身の周りに暴走『自動運転車』が潜んでいる」などと恐怖感を煽り立てるマスコミの姿が目に浮かぶ。ネット上にはありとあらゆるネガティブキャンペーンが書き込まれるだろう。

その結果、一旦確立したはずの事故処理と保険処理のルールが再び動揺し、混乱する可能性が高いのではないか。

以上のような混乱を避けるためには、自動運転車が市場に投入されて非自動運転車と混在する事態を想定した議論を今から十分に重ねておくしかない。

PS 誤解して欲しくないので付け加えるが、AI絡みの仕事が多い小生は自動運転の積極的賛成派だ。
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よく分からない現地語Tシャツを着るリスク

外国語のTシャツを恰好いいと考えて着る若い人は少なくないようだ。しかし自分がよく理解できない現地語で書いてあるTシャツを嬉々として公衆の面前に晒すことには思わぬリスクが伴うことは理解しておいたほうがよい。


訪日外国人の姿が目立つようになったこの頃。東京およびその他の観光地で、妙な日本語がプリントされたTシャツを着ている若い外国人旅行者らしき人たちを目にすることがある。

きっと外国出身の人が外国人旅行者向けにプリントしたもので、買う人も「これ日本語で、クール」とか考えたのだろう。一種の愛敬すら感じる、微笑ましい光景かも知れない。

しかしそれはあくまで、言葉の分からない外国人にとっても概ね安全な日本での話だ。海外ではちょっと事情が違う。

例えばあなたが旅行する異国の大都会で、現地言語で書かれたTシャツを買ったとしよう。そこに書かれているのが支離滅裂な文章だったり、またはとんでもない非常識な台詞だったりしたらどうだろう。しかもあなたはそのことを知らない。

現地の人の大半は「この外国人旅行者は意味も分からずにこんなバカなTシャツを買ってしまったんだな」と内心少し憐れむだけだろう。もしかすると(可能性は限りなく低いが)奇特な地元民が親切にも「困っていませんか?」と声を掛けてくれるかも知れない。

しかし外国人旅行者を騙して小遣い稼ぎやいたずらをしようと考えている不届き者は、日本人が想像する以上に海外の大都市には多い。そうした輩にとっては、「私はこの国の言葉を理解できません」と公言しているようなTシャツを着ている外国人旅行者は絶好のターゲットなのだ。

しかも話しかけてみると、カタコトの英語ながら日本人だという。もう相手にとっては「鴨が葱を背負って」目の前でダンスしているようなものだ。心の中で舌なめずりしながら、「ボク、日本人大好き。案内させてクダサーイ」とちょっと高いトーンであなたたち旅行者に持ち掛けてくるだろう…。

こんな余計なリスクを背負い込みたくなかったら、よく分からない言語でプリントされたTシャツを買い込んですぐに現地で着るのは避けたほうが賢明だ。もちろん日本で買っても(なぜか不自由な英語のTシャツは日本でもよく売っている)、リスクは同じなのでダメですよ!

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八ッ場ダムには最高の技術と工事管理ノウハウがある

民主党が政権を取った数年前、大いに議論になったのが八ッ場ダムの建設中止の是非だった。

元々は治水対策として計画された同ダムは、現代ではその本来の目的をかなり失い、公共事業頼りの悪しき典型例と自然破壊の象徴とされたのだ。しかし結局は、既に計画は進んでおり、村じゅうがダム建設を前提で動き出した後の転換は難しかったのだ。退去に同意し補償金を生活再建に充てることにしていた住民からは「今更止めるなどとふざけたことをぬかすな」という怒りの声が湧き上がり、民主党政府も「中止の取りやめ」を宣言せざるを得なかったのだ。
http://kaze.shinshomap.info/special/21/01.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E3%83%83%E5%A0%B4%E3%83%80%E3%83%A0

そんな八ッ場ダムの最近の建設風景が詳しくテレビ放映された。小生の好きな探検バクモンの7月19日(水)放送、「八ッ場ダム」という回だ。
http://www4.nhk.or.jp/bakumon/x/2017-07-19/21/18677/1665207/

ダム建設の是非はさておき、巨大建築物の工事現場の面白さを目の当たりにした。今現在、日本で巨大ダムを建築しているのはここだけという。つまり日本のダム建築の技術の粋がここに集約している訳だ。

膨大な水量(1億トン!)がもたらす巨大な水圧を支えるため、いかに頑丈な岩盤を探し出してコンクリートとの隙間をなくすか。コンクリートを強くするため、そのためセメントを少なくするため、石の大きさを3レベルに振り分けた上でいかに正確な割合で混じらせて隙間を少なくするか。そして最後に、ミルフィーユのように何層も重ねて整地・コンクリート工事を行い、そこにわざと薄い鉄板を入れて予想外の亀裂が生じないようにする、余分な水分が含まれないよう雑巾で水を吸い出す、等々。

ニッポンの建築技術は世界最高水準と言われるだけあって、さすが緻密だ。様々な建築現場の人材の質が落ちたと言われる昨今だが、ここは本当に最高水準のダム野郎たちが頑張っているのだと感じた。

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AI時代の職業選びの難しさ

AIによる代替が進むこれからの時代、人手不足だからといって安泰な職業はごく少ない。よほど先を見て選ばないといけないと分かっていても現実的には難しい。いっそ特定の「職業」ではなく、将来求められる能力を開発できるか否かといった側面に視点を置いたほうがよいのかも知れない。


大学生にとっての職業選択と、企業にとっての新規事業の企画・開発はよく似ている。

自分(自社)にとっての得意なことや志向性と、世の中で求められるものが綺麗に合致することは理想。現実には、思い入れが強くとも競争が激しいなどの事情で、妥協・割り切りを余儀なくされながら紆余曲折した挙句、当初思ってもみなかった形に結実することもごく普通だ。

何より悩ましいのが、10年も20年も先の世の中での需要を見通すことなど誰にもできないという当たり前の事実だ。

企業の新規事業開発の場合、想定していた通りに市場が立ち上がらなければ、随時軌道修正して別市場にシフトすることができるし、そうした柔軟性・機動性こそがマネージャーの腕の見せ所だ。実際のところ、新規事業開発で視野に入れるのは(産業により大きな差があるが)最長ケースでも10年、通常なら5年程度に短縮されつつある。

しかし5年程度で転職しようと思って就職する就活生は非常に稀だろう。せめて10年、できれば30年ほどは安泰であってくれと願うのが人情だ。

ところが就活生(およびその親御さんたち)にとっては盤石に思えた就職先が、経営陣の間違いによって大きく傾くといった事態が稀ではなくなってきている(東芝やタカタといった最近の事例を思い出して欲しい)。

企業に就職する場合だけでなく、特定の職業を目指して大学を選ぶ段階から「将来に向けての目利き」が求められることも多いが、なおさら難しいものだ。その分、若者とその親御さんの判断は保守的になりがちだ。しかし従来型の職業観に凝り固まっていると、却ってリスクを背負い込むことになるのがこれからのAI時代の怖さである。

「こうした先を見通せない時代だからこそ国家資格を身につけよ」とはよく言われるセリフだが、弁護士や会計士といったサムライ業の専門職こそが次なるAIによる代替のターゲットだと指摘されている(ただしAIに直接代替されようとしているのは下調べをする若手である)上に、今でも供給過多気味だとさえ言われている。

そしてもっとショッキングなことに、公務員を含むホワイトカラーの仕事の半分はAIによる代替が可能であると言われる。かといってブルーカラーのうち単純労働の要素が強いものはロボットか途上国の労働者に代替され得るし、報酬が低い事情も大して変わらないだろう。

結局、AI時代に求められるのは、AIを使いこなして社会に貢献する「新しい仕事パターン」を確立する人たちである。その半分程度は今ある職業かも知れないが、残り半分は現時点で全く存在しないものかも知れない。

例えばAIを効果的に使って取引先と密接につながることで収入を大幅にアップできる、新しいタイプの農家や漁師かも知れないし、彼らにアイディアと仕組みを提供して最適な市場を次々に展開する新職業の人たち(「〇〇コーディネータ」とでも呼ばれる?)が大勢出てくるのかも知れない。

いずれにせよ、今ある職業を通じて開発された能力をベースに、AIを使いこなす「新しい仕事パターン」を開発することに取り組んだ人たちだけが、いち早くそのポジションに到達できるのだ。

そうしたことを考えると、各地の大学では、旧来型の職業を前提にした授業やゼミばかりではなく、地元の企業や住民を巻き込んで、こうした新しいやり方を率先垂範して試行する動きが今以上に求められるのではないか(実際、すでに幾つかの大学では小規模ながら取り組んでいる)。

たとえゼミや授業でトライした結果が失敗やショボい成果だろうと、そうした経験と意欲がある人たちこそが、企業や地元社会が求める人材である。社会の仕組みが変わっても対応できるだけの能力基盤が育まれているのだから。

そのためには企業側も即効性の研究成果ばかりでなく、人材育成の場としての大学に資金や協業の場を提供してもらいたい。是非、大学関係者と企業関係者はご一考を。

PS ちなみに、今現在もてはやされている職業の一つに、ビッグデータを解析し仮説を生み出す、データ・サイエンティストという人たちがいるが、AIがレベルアップすると代替される第一候補の一つとも云われる。最先端のコンピュータサイエンス絡みの花形職業でありながらこうした事態さえ生じるのが、この分野の怖さだ。もちろんデータ・サイエンティストたちも(多分)それは意識しており、この先数年以内に次のレベルにステップアップすることを目論んでいるに違いない。

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ゲスト・スピーカーの人柄に触れた教育懇談会

今日は娘の大学の教育懇談会という一種の父兄会(授業を観る訳ではないので参観日ではない)。そこでのゲスト・スピーカー、日本ホテル(株)常務取締役で東京ステーションホテル総支配人の藤崎斉氏の話を興味深く聞いた。

氏は小生と同じ年に大学卒業。いわゆる就活に失敗したという。久々に「若干名募集」としたFM東京を志望し、最終8次(!)面接まで2人が残り(他の内定を蹴った後)、結局落とされた。しかし後日知ったことによると、その年の採用数はゼロだったという。ビジネス人生の最初に企業の気まぐれに引っ掻き回された格好だ。

しかし氏はそこからむしろ光り輝く。リクルート子会社に拾ってもらい、それからホテルマンとして東京ヒルトン、ウェスティン、JALホテルズを渡り歩いて出世し、遂に国家プロジェクトたる東京ステーションホテルの総支配人に就くまでになったのである。いわば「業界の顔」の一人になったわけである。

氏の主張はしたがって、「人生はマラソンではない」「人生の価値は一つじゃない」「先の見えない現代、大切なことは『変化に対応できる人材』になること」「そのためにDiversityの環境に身を置き、人間としての教養を高めよ」ということだったと思う。リクルート出身らしく映像を多用して楽しいプレゼンだった。特にCommunication robot のJiboが可愛かった。
http://www.homecrux.com/2015/12/12/39513/jibo-worlds-first-family-robot-looks-after-you-and-your-family.html

氏の講演の最後は、まだ就職が決まっていない学生や、うまくいかない学生への同情と共感が詰まっていた。成功者でありながら驕慢さはつゆほどもなく、自身の蹉跌を思い起こしてごく自然に他社への共感が湧き出る、素晴らしい人柄を感じられた。この大学の良さの典型例なのかも知れない。

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