「残業代ゼロ」法案にみる政策パッケージの矛盾

安倍政権の掲げる成長戦略には様々な政策が含まれますが、大方針または優先度づけが欠如するためか、政策間に矛盾が見られます。企業での改革プログラムを立案・推進する人々にとっては「他山の石」とすべきものです。


国家、産業、企業のいずれの単位でも、大きな改革を進める場合には一つだけでなく幾つかの政策を組み合わせた「政策パッケージ」として打ち出して推進することが多いものです。安倍政権の掲げる「3本目の矢」である成長戦略もまた、多くの政策群から成り立っています。その中でも雇用・労働規制の緩和は注目すべき政策群となっています。具体的には(1)解雇ルールの明確化、(2)非正社員の継続雇用、(3)時間規制の適用除外の3つが代表政策で、安倍政権は雇用特区でこれらの規制緩和を行い、その後全国に適用を拡大することを狙っています。

こうした雇用・労働規制緩和の狙いは、「外国資本の日本への投資意欲を高めるため」や「働き方の多様性を広げるため」という建前が掲げられてはいますが、産業界(特に大企業)が強く要望しているもので、実際には「いかに安い労働力を確保するか」「働き盛りのサラリーマンにいかに安く働いてもらうか」といった当面の人件費総額圧縮が本音でしょう。

3つともそれぞれ重大な問題を内在する「劇薬」なのですが、特に3つ目の「時間規制の適用除外」は潜在的なインパクトが大きい上に、安倍政権、いや日本社会の最大の課題である「晩婚少子化対策」と真っ向から矛盾するという性格を持ちます。それゆえ仮に法案が成立しても、特区での実施状況とその副作用を慎重に検証する必要があります。

何を懸念しているのか、もう少しブレイクダウンして見てみましょう。

「時間規制の適用除外」とは「残業代ゼロ」の対象を、年収が1000万円を超える社員のほか、高収入でなくても労働組合との合意で認められた社員とすることを検討するものです。いずれも本人の同意を前提としています。ちなみに、現在の労働基準法で企業が労働時間にかかわらず賃金を一定にして「残業代ゼロ」にすることが認められているのは、部長職などの上級管理職や研究者などの一部専門職に限定されています。

既に現時点でも、年収が1000万円を超える社員だけでなく、本人および労働組合との合意があればという条件ながら一般社員への適用拡大の道筋が見えていますが、特区だけでなく全国に範囲が拡大されれば、やがて年収のハードルはじりじりと下げられていく可能性が高いでしょう。そして一旦労働組合が同制度を認めた会社において、上司から「よい評価をされたいのなら合意せよ」と迫られたときに拒否できる従業員は少ないでしょう。その主ターゲットは管理職手前の層、30代の中堅サラリーマンです。まさに子育てに向き合わなくてはならない世代です。

「残業代ゼロ」の賛成派は性善説に基づき、次のように説きます。「残業代ゼロとなれば誰もが速く仕事を片付けようとするから、だらだら夜遅くまで残業したり休日出勤したりする人はいなくなる。その分、家庭サービスに精を出すだろう」と。しかし、「残業代ゼロ」の対象となった30代サラリーマンがどういう働き方をするかは、本人以上に上司および経営者の考え方で左右されるのが現実です。

無理の効かない40代以上の管理職やまだ仕事を覚え切れていない20代の若手よりも、確実に頼りになる30代の中堅に多くの仕事を振るのが普通の上司の行動です。ましてや経営者の視点からは、残業代の必要な若手よりも「残業代ゼロ」の人間に仕事を集中させるのが合理的と考えてもおかしくはありません。これまでは残業時間規制があったので歯止めが掛っていたのが、多くの職場でその遠慮がなくなる可能性は高いと小生はみます。

すると何が起きるのか。今以上に30代の中堅サラリーマンは仕事を抱え、さらなる残業・休日出勤を余儀なくされるケースが続出するのではないかと思います。その結果、彼らの妻たちは孤独な子育てを余儀なくされ、2人目の子供を作ろうという意欲は減退するでしょう。そうした状況を見ている後輩の女性たちはさらに結婚時期を遅らせるか、結婚そのものに踏み切れずに終わってしまう方も増えるでしょう。当然ながら男性も出遭いの機会が減るうえに、デートする時間も減り、女性を口説くタイミングも逃しかねません。しかも残業代という収入の重要な一部がごっそり減ってしまうので、結婚や新居に向けての貯金もままならないという事態が、より多くの層に広がる恐れが高くなります。

こうした状況は近年の不況下で繰り返され、強化され、晩婚・少子化を加速する主要因となったことは多くの識者の指摘するところです。小泉政権や第一次安倍内閣で緩和された労働規制と労働組合の弱体化により、減った正社員をカバーすべく残された従業員がサービス残業を余儀なくされ、こうした構図が強化されたのです。皮肉にも、第二次安倍内閣のアベノミクス景気のおかげで賃金アップに向かい、ホワイトカラー層の雇用増も生まれ始めており、この悪循環が減速・解消する可能性も近頃は出てきました。しかしその悪循環を安倍内閣は、「時間規制の適用除外」により再び動かそうとしているのです。

何といっても日本社会の最大・根本的な課題は晩婚少子化対策です。最も恐れるべきは、晩婚少子化、ひいては生産年齢人口の縮小がもたらす国内経済の縮小であり(これが確実に見込まれるために企業は国内に投資しなくなっているのです)、地域社会の崩壊であり、社会保障制度の自壊です。並んで大きな課題とされる高齢化対策は、逃れられない結果に対する対処療法でしかありえませんが、晩婚少子化対策は未来の話ですから政権の意思と政策次第で抜本的に改善できる余地があります。

安倍政権は一方で、晩婚少子化対策のために「子育て支援」メニューを幾つか打ち出してはいますが、迫力不足は否めません。人口1億人を保つと掲げながら、具体的・抜本的な政策を矢継ぎ早に打ち出すことをためらっているかのようです。その一方で、晩婚少子化対策と全く思想的に相反する、副作用の恐れの強い「時間規制の適用除外」を執念深く推進しようとしているのです。

こうした矛盾により政策が互いの効果を打ち消しあう事態が生じるのは、政権の中で優先順位がついていないせいだと類推できます。さらに司令塔が不在なのか、そうした役割にある方がこの矛盾に気づいていないか、または矛盾に気づいていながらも安倍首相が「残業代ゼロ」に個人的に拘るゆえにどうしようもないとさじを投げているのか、いずれかでしょう。

国の政策パッケージが多種多様な官僚発政策群のごった煮である場合、こうした政策間の矛盾が生じることは実は過去にもよくありました。経済が成長している時代はそれでも大した問題はなかったのですが、今のように低成長、いや縮小の時代においては致命的な結果を招きかねません。

同様に企業経営における改革においても、こうした政策間で矛盾があると、改革効果を打ち消しあい、それが意図しない暗黙のメッセージを伝え、思わぬ副作用のみ発現するという事態を招くことがあります。改革の思想とそれに基づく優先度づけが重要なゆえんです。
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